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[C2852] 一気に読みました

後半の アレです、タノQさんいうところの
低価格な僧侶さんたちにくらくら…
愚童和尚の(活字だけど)生の言葉に
触れることができたよかったです。
ありがとうございます。
  • 2010-11-19 08:58
  • ななこ
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[C2853] こちらこそ長文、恐縮です

佛祖列闢の中には、いや~なのが、けっこういます。それが名僧あつかい。
かつ手許にある 宗侶必携(現宗務庁刊) 記載の宗史には後ろめたい箇所ぬけてるし。
ひょっとして団には佛道がないのかと疑われます、やれやれ。
  • 2010-11-19 20:27
  • タノQ
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[C2854] 疲れました…

これを書かれたタノQさんも、それを理解されたななこさんも、お二人とも凄すぎです。
お恥ずかしいですが、私は「頑張って読んだけど…」としか言えません。
ところで今日、北朝鮮と韓国との間で大変なことが起こりましたが、いったいこれからどうなるのでしょうか?
怖くて不安なんですが…
  • 2010-11-23 23:10
  • Y・Y
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[C2855] ( ̄ω ̄;

んー、そんな、むつかしいでしょうか。 けっこう長文には、なっちゃったけど。
北朝鮮と韓国 こんなときがくるのは、とうぜん充分に予測されてたはずなんですが。 なぜ回避できないのか、なにか手立てがなかったものか、こういうことが今もまかり通る世界を私らは、かんがえていなきゃならんと思うです。
ところでコメント通知くるのチョー遅いんですがfc2ほんと不具合おおいな( ̄▽ ̄;
  • 2010-11-24 23:19
  • タノQ
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お前はもう以表諸佛體

こんかいエントリは以前ご紹介した佛祖正傳得髄の宗侶にして佛道に殉じた天室愚童和尚が在世に出版され、けっか的に冤罪きせられ刑死する端緒となった書をレビュつかまつります。
入獄紀念
(かなり長文ですが↓つづき)
(つづき)
いま手許にある↑は、もちろん原本でなく復刻でして、ある宗専門誌の記事から再復刻が頒布されてることを知り、復刻刊行者さまから分けていただいたものであります。 お手数たまわり、またこのように得がたく価値ある佛書を復刻いただいたこと感謝の念に堪えません。 絡子と血脈と共に寶物として、ながく愛藏したく思い、また復刊者さまには、ここに篤く御禮もうし上げたく存じる次第です。

さて画像のっけただけでオシマイ、ではない。 まさか稀覯本コレクタじみて自慢こきエントリするわけないじゃん、そもそも本の値打ていう代もんは、その中身なり。 こんかい中身あまさずのこらず全文掲載いたします。 そのまえに、まず添付されてありました手紙と別紙とを掲載なのだ。

一戸彰晃 拝
 2010年はこの国のリベラリズムを沈黙させた「大逆事件」から100年です(判決は翌年1月18日、処刑は同月24日・25日)。 この節目にあたり、内山愚童の『無政府共産』を再復刻いたしました。
 同パンフレットについての由来を申せば、原本は岡山の部落活動家M氏が2部旧蔵していたもので、慶応大学の某教授と評論家の玉城氏がそれぞれ入手。 柏木隆法先生が玉城氏から贈られて、30年前に50部復刻いたしました。 現在はその復刻版すら入手することが難しくなっておりましたので、このたび柏木先生からご許可を頂き再復刻と配布をおこなうこととなりました。
 100年の節目にあたり、内山愚童の精神を再検討し正しく評価することは大きな意義があろうかと存じます。 その意味でも愚童逮捕のきっかけとなったこの『無政府共産』を実際に手になされて、愚童の精神に思いを寄せていただければさいわいです。 今回の配布について、どうぞ一人でも多くのかたにお知らせいただきたく存じます。
(別紙)
内山愚童『無政府共産』の復々刻版について
これは、柏木隆法氏が、原本をもとに復刻されたものを更に当方が復刻したものです。 よって、原本からはかなり乖離したことは否めません。 特に、紙質に関して、現在では入手不可能であること、また、原本の製本は「木綿糸で綴じた」(柏木隆法著『大逆事件と内山愚童』一九一ページ)ものであることなど諸般の違いに関してはどうぞご寛容下さりたく、ご了解のほどお願い申し上げます。
 二〇〇九年一月二十四日(愚童処刑の日) 非売品

以下 無政府共產 全文ママ掲載、活字不足のなか素人が植字という印刷条件ですが修正なし。
それも往時を偲ぶヨスガとして味わっていただきたい。

***************************************************************************************************

 小作人ハナゼ苦シイカ
 人間の一番大事な、なくてならぬ食物を作る小作人諸君。 諸君はマアー、親先祖のむかしから、此人間の一番大事な食物を、作るとに一生懸命働いておりながら。 くる年もくるとしも、足らぬたらぬで終るとは、何たる不幸の事なるか。
そは佛者のいふ、前世からの惡報であらふか、倂し諸君、二十世紀といふ世界てきの今日では、そんな迷信にだまされておつては、末には牛や馬のやうにならねならぬ、諸君はそれをウレシイト思ふか」
 來るとしも、くるとしも貧乏して、たらぬ、たらぬと嘆くことが。 もしも、冬の寒い時に、老いたる親をつれて、づしや、かまくら、沼づや、葉山と。 さむさを厭ふて遊んで、あるいた爲だと、いふならば。 そこに勘忍の、しやうもある。 もしも夏ノ暑い時に、病めるツマ子を引きつれて、箱根や日光に、アサツを避けタ其タメに、ことしは、少しタラぬとでも、いふなラば。 ソコニ慰める事も、できやう」
 ことしは、長男をドイツに遊學させ、弟を大學に、娘を高等女學校へ入れタノデ。 山林を一町ウツタとか、デンチを五たん質入したとか、いふならは後の樂を、アテにして、ツマとの寢物がたりも苦くはなからう。
ところが諸君の、年が年中、タラヌたらぬと、いふのは決して、そんなゼイタクなワケではない。 正月がきたとて、ボンがきたとても。 あたらしい着物一まいきるではなし、よは二十世紀の文明に建築術は進んだといふても諸君の家には、音さたがない、諸君の家は五百年も千ねんも、イゼンの物である。 しかし、それは少しも無理ではない、着物はゴフクやに、ゼニをださねばならぬ、家は大工に手まちんを、拂はねはならぬ。 しかも諸君は悲いことに、其ぜにを持たない、そこで諸君の着物はいつもボロボロで、家は獸の巣のやうである」
 しかしナガラ、食もつは諸君が、じぶんで作るのであるから。 一ばん上等のモノを、くふておるかといふに決してそうではない。 上等の米は地主に、とられてジブンは粟めしや、ムギめしを食して、そうして地主よりも商人よりも、多く働いておる。 それですら、くる年もくる年モ、タラぬタラぬといふのが、小作人諸君、諸君が一生涯の運命デある」
 これはマア、どうしたワケであらうか。 一口に歌つて見れば
 なぜにおまいは、貧乏する。 ワケをしらずば、きかしやうか。
 天子金もち、大地主。 人の血をすふ、ダニがおる。
 諸君はヨーク、かんがいて見たまへ。 年が年中、アセ水ながして、作つた物を。 半分は地主と云ふ、泥坊にトラレ。 のこる半分で、酒や醬油や鹽やこやしを、買ふのであるか。 其酒にも、コヤシにも。 スベテの物に、ノコラズ政府と云ふ、大泥坊の爲にトラレル稅金が、かゝつて。 其上に商人と云ふ泥坊が、モウケやがる。 ソコデ小作人諸君のやうに、自分の土地と云ふ者を持たずに、正直に働いておる者は、一生涯貧乏とハナレル事は出來ないのである」
 マダそればかりなら、ヨイが。 男の子が出來れば、ナガイ間、貧乏のなかで育てあげ、ヤレうれしや、コレカラ。 でんばたの一まいも、余分に作つて、借金なしでも致したいと思ふまもなく、廿一となれば、イヤデモ何でも、兵士にとられる。 そうして三年の間、小遣ゼニを送つて、キゝタクもない。 人ゴロシのけいこを、させられる。 それで戰爭になれば、人を殺すか、自分で殺されるかと云ふ。 血なまグサイ所へ、引つぱりだされる」
 セガレが兵士に、三年とられておるうちに、家におるおやぢは、ツマコをつれて、コジキに出だしたといふ者もある。 兵士にでたセガレは、うちが貧乏で、金は送つてくれず。 金がなければ、古兵にイジメられるので、首をクゝつて死んだり、川へとびこんで死んだり。 又は鐡道で死んだりした者が、何ほどあるか、しれぬ、のである。
 こんなグアエに、小作人諸君を、イジメルのだもの。 諸君が、朝は一番ドリにおき、夜はクラクなるまで、働いたとて。 諸君と貧乏は、ハナレルことではない」
 コレハ全體、なぜであらうか。 おなじ人間に、うまれておりながら。 地主や、かねもちの家に、うまるれば。 廿四五までも、卅マデモ。 學校や外國に遊ンデ、おつて、そうして、うちにかいれば。 夏は、スゞシキところに、暑さをシノギ、冬はあたゝかき、海岸に家をたつて。 遊びくらして、おるデハナイカ。 自分は桑のは一枚ツミもせずに。 キヌの、きものにツゝマツテ。 酒池肉林と、ゼイタクをして、なんにも、せずに、一生を遊び、送るノデアル。 諸君は、シラヌデ、あらうが。
 大地主や、かね持か。 夏の卅日を、日光や箱根デ、遊ぶのに。 一人デ、二干や三千の金を、つかふと云ふでは、ないか。 三干圓とよー、諸君が廿歳のとしから、五十歳まで、やすまず、クワズに働いても三千圓といふカネは出來まいではないか。 そうして、其人たちは兵士などには、出なくても宜いのデある」
 小作人諸君。 諸君もキツト今の金持や大地主のやうに、ゼイタクを、したいであらう、タマニハ遊んでおつて、ウマイ物をたべたいであらう。 けれども、それが諸君に出來ないと云ふのは、諸君が一つの迷信を持つて、おるからである。 オヤ先祖のムカシからコノ迷信を大事にしておつた爲に、地主や金持のスルヤウナ、ぜいたくを夢にも見ることが出來ないのである、諸君がわれわれの言ふ事をキイテ今すぐにも其迷信をステサイすれば諸君は、ほんとうに安樂自ゆうの人となるのです。
 しかし、天子や金持は、諸君にコノ迷信をすてられては。 自分たちが遊んでゼイタクをすることが出來なくなるからムカシヨリ天子デモ大ミヤウでも。 この迷信をば、無くてならぬ、アリガタキものにして、諸君を、あざむいてキタノデある。 それだから、諸君の爲には、今の天子デモ大臣デモ。 昔の川モ、大ミヤウも、おや先祖の昔から、恨みカサナル、だい敵デあると、いふことを忘れテハナラヌ」
 明治の今日も其とふり、政府は一生ケン命で、上は大學のハカセより、下は小學校の師までを使ふて、諸君に此迷信を、すてられぬヤウニしておる、そして諸君は又、之をありがたく思ふておる。 だから諸君は一生涯、イヤ孫子の代まで、貧乏とハナレル事は出來ない、然らば小學師などが、諸君や諸君の子供にえこむ、迷信と云ふのは何であるか。 迷信といふは、マチガツタ考へを大事本ぞんに守つておる事を、云ふのである。 ナゼニ諸君が昔から、此マチガツタ考へを、持つて、おるかと云ふことは、あとにして。 どう云ふマチガツタ考が迷信であるかといふことを語つてみやう」
 △諸君は地主から、田や畑をつくらして。 モロウカラ、其お禮として小作米をヤラネばならぬ。
 △諸君は。 政府があればこそ、吾々百姓は安心して、仕事をしておることが出來る、其お禮として稅金を。 ださねばならぬ。
 △諸君は、國にグン備がなければ、吾々百姓は外國の人に殺されてしまふ、それだから若い丈夫の者を、兵士にださねばならぬ、
と云ふ。 此三ツのマチガツタ考へが深くシミ込んでおるから。 イクラ貧乏しても、小作米と、稅金と、子供を兵土に出すことに、ハン對することが、出來なくなつておる。 モシモ小作米をださなくも宜しい、稅金をおさめなくても宜しい、かわい子供を兵士に、ださなくても宜しいなどゝ云ふ者があれば、ソレハむほんにんである、國賊である、などゝ云ふて、其じつ自分たちの安樂自由の爲に、なることを。 聞く事も讀む事も、せずにしまふ。 コゝハ一番よーく、考へて、讀んでいたゞきたい」
 然らば、ナゼ小作米を地主へ。 ださなくても宜しい者か、と云ふに、ソレハ小作人諸君が。 耕やす所の田や畑を、春から秋まで、鋤もいれず、タネもまかず。 コヤシもせずに、ホツテおいて、ゴらんなさい、秋がきたとて米一粒、出來ませぬ。 夏になつても麥半ツブとれる者でない。 コゝを見れば、スグにしれるではないか。 秋になつて米ができ、夏になつて麥ができるのは、百姓諸君が一年中、アセ水ながして、やすまずに働いた爲である。 ソウして見れば自分が働いて出來た、コメや麥は、ノコラズ百姓諸君の、ものである。 何をネボケテ、地主へ半分ださねば。 ならと云ふ、理クツがあるか」
 土地は天然しぜんに。 あつた者を。 吾等の先祖が、開こんして食物の出來るやうに、したのである。 其土地をたがやしてトつタ物を、自分の者にするのが、何でムホンニンである、
 小作人諸君、諸君はながいあひだ地主に盗まれて、きたのであつたが、今といふ今、此迷がさめて見れば、ながいながい恨みの、ハラヰセに、年ゴを出さぬバカリでなく。 ヂヌシのクラにある。 麥でも金でも、トリカヘス權利がある。 ヂヌシのクラにアル、すべての者をトリダスことは、決して泥坊ではない。 諸君と吾等が久しく奪はれたる者を、回復する名譽の事業である。
 ツギニ、政府に稅金をださなくても宜しいと云ふことは、ナゼであるか、小作人諸君ムヅカシイ理くつはいらぬ。 諸君は政府といふ者のある爲に、ドレダケの安樂が出來ておるか。 少しでも之が政府様のアリガタイ所だといふことがアツタナラ、言つて見たまい、昔から泣く子と地頭には勝たれぬといふて。 無理な壓制をするのが。 お上の仕事と、キマツテおるではないか、コンナ厄界の者をイカシておく爲に、正直に働いて稅金をだす小作人諸君は貧乏しておるとは、馬鹿の頂上である。
 諸君は、こんな馬鹿らしい政フに、稅金を出すことをやめて、一日もハヤク、厄界ものを亡ぼして、シマフではないカ。 そうして親先祖の昔より、無理非道に盗まれた、政フの財產を、トリ返して。 みんなの共有に、しやうではないか。 之は諸君が當然の權利で、正義をおもんずる人々は、進んで萬民が自由安樂の爲に政府に反抗すべきである。
 今の政府を亡ぼして、天子のなき自由國に、すると云ふことがナゼむほんにんの、することでなく、正義をおもんずる勇士の、することであるかと云ふに。 今の政フの親玉たる天子といふのは諸君が、小學校の師などより、ダマサレテおるやうな、の子でも何でもないのである、今の天子の先祖は、九州のスミから出て、人殺しやごう盗をして、同じ泥坊なかまの。 ナガスネヒコなどを亡ぼした、いはゞ熊ざか長範や大え山の酒呑童子の、成功したのである、様でも何でもないことは、スコシ考へて見れば、スグしれる。 二千五百年ツゞキもうしたといへばサモ様でゞも、あるかのやうに思はれるが代々外はバンエイに苦しめられ内は。 ケライの者にオモチャにせられて來たのである。
 明治になつても其如く、内政に外交に、天子は苦しみ通しであらうがな、天子の苦しむのは、自業自得だから勝手であるが、それが爲に。 正直に働いておる小作人諸君が、一日は一日と、食ふことにすら、くるしんでおるのだもの。 日本は國だなどゝ云ふても諸君は少しも、アリガタクないであらう。
 コンナニ、わかりきつた事を大學のハカセだの學士だのと云ふヨワムシ共は、言ふこともかくことも出來ないで、ウソ八百で人をダマシ自らを欺いておる。 又小學校の師なども、天子のアリガタキ事をとくには、コマツテおるが。 ダンダンうそが上手になつて一年三ドの大祝日には。 ソラトボけたまねをして、天子はの子であると云ふことを、諸君や諸君の子供に、へ込んでおる。 そうして一生涯、の面をかぶつた、泥坊の子孫の爲に、働くべく使ふべくえられるから、諸君はイツマデも貧乏とハナレルコトは出來ないのである、コゝまでとけば、イカニ勘忍づよい諸君でも、諸君自身の、奪はれておつた者をトリカエス爲に。 命がけの運動を、するきになるであらう。
 小作人諸君。 諸君はひさしき迷信の爲に、國にグンタイがなければ、民百姓は生きておられん者と信じておつたであらう、ナルホド昔も今も、いざ戰爭となれば。 ぐんたいのない國はある國に亡ぼされて、しまふに極つておる、けれども之は天子だの政府だのと云ふ大泥坊があるからなのだ、
 戰爭は政府と政府とのケンクワでわないか、ツマリ泥坊と泥坊がナカマげんくわする爲に、民百姓がなんぎをするのであるから。 この政府といふ、泥坊をなくしてしまへば、戰爭といふ者は無くなる。 戰爭がなくなれば、かわい子供を兵士にださなくても宜しいと云ふことわ、スグにしれるであらう。
 ソコデ小作米を地主へ出さないやうにし、稅金と子供を兵士にやらぬやうにするには、政府と云ふ大泥坊を無くしてしまふが一番はやみちであるといふことになる、
 然らばいかにして此正義を實行するやと云ふに、方法はいろいろあるが。 マヅ小作人諸君としてわ、十人でも廿人でも連合して。 地主に小作米をださぬこと、政府に稅金と兵士を、ださぬことを實行したまへ。 諸君が之を實行すれば、正義は友を、ますものであるから、一村より一ぐんに及ぼし。 一ぐんより一縣にと、遂に日本全國より全世界に及ぼして。 コゝニ安樂自由なる無政府共產の理想國が出來るのである。
 何事も犠牲なくして、出來る者ではない。 吾と思わん者は此正義の爲に、いのちがけの、運動をせよ」 (ヲワリ)
 ◎發行の趣意
 此小册子は、明治四十一年六月廿二日、日本帝國の首府に於て。 吾同志の十餘名が、無政府共產の赤旗を掲げて。 日本帝國の主權者に抗戰の宣告をなしたる爲に同年八月廿九日、有罪の判決を與へられた。
 大杉   榮    荒〇  勝三    佐藤   悟
 百瀬   〇    宇都宮 卓爾    森岡  永治
 堺   利彥    木村 源治郎    大須賀 さと
 山川   均    小暮  れい    永 保之助
右諸氏が入獄紀念の爲に、出版したのである」
 此小册子は、二年もしくは四年の後出獄する、同志の不在中。 在京僅少の同志が、心ばかりの傳道であります」
 此小册子を讀んで、來るべき革命は、無政府共產主義の實現にあるとを意得
(ウラヘツゞク)
せられし諸君は、目下入獄中の同志に。 はがき、にても封書にても送られたし、これ入獄諸氏に對す唯一の慰めで、かの戰士の膽力を研鑽する福音であります。
 入獄諸氏に送らるゝ手紙は。
 東京市牛込市ケや東京監獄在監人 何々君
と書き、そうして差出人の住所姓名を明らかにして出して下さい」
 此小册子は、ながきながき迷信の夢より諸君を呼び醒まし。 ちかき將來になさねばならぬ、吾等の革命運動を謬釋せざる爲に、廣くかつ深く傳道せねばならぬのでありますから、無政府共產と云ふとが意得せられて、ダイナマイトを投ずる事をも辭せぬといふ人は、一人で多くに傳道して願ひたい。 しかし又、之を讀んでも意得の出來ぬ人は、果して現在の社會は正義の社會であるか、又吾人の理想は今の社會に滿足するや否やを、深く取調べて願たい」

***************************************************************************************************

註)
佛者のいふ、前世からの惡報:そうえる佛者は似非であり正法眼藏には
 佛道の因果は異熟等流等の論にあらざれば佛因にあらずは佛果を感得すべからず (諸惡莫作)
とあり、また
 かつて國王大臣の恭敬供養をまつこと期せざるものなり (谿聲山色)
 國王大臣の歸依しきりなれば、わがみちの見成とおもへり、これは學道の一魔なり (谿聲山色)
 依業の尊卑によらず (禮拜得髓)
とあって差別を否定している
ナガスネヒコ:長髄彦、登美毘古とも 朝貢を拒否し侵略に抵抗した地域部族の長
熊ざか長範:熊坂長範 平安末期の盗賊
酒呑童子:酒天童子とも 平安初期の盗賊
二千五百年ツゞキもうした:萬世一系については以前のエントリ參照のこと
バンエイ:蠻夷 異邦人とくに朝廷側からみた長髄彦や都知久母などの他勢力

いかがです。 文中 ダイナマイトを投ずる とかいいつつ愚童和尚なにもしてないにもかかわらず、ただウソまぎれのない本當の事實を告げただけのことで逮捕され、そして明治政府は國内外からの批判を無視し急いで和尚を絞首台に吊るしまして、いっぽう佛道を奉ずるはずの曹洞宗務院ナニしてたかといえば和尚の住職罷免、宗内擯斥と、かぐわしいばかりの末法ぶりを露呈するし。
ときの永平六十四世と總持寺独住四世と宗務院みんな
 どいつもこいつも夢也未見在 ,_( ̄ε ̄)
のみならず、そののちも宗門どんどん佛道ばなれこいて、あげく
私根性わすれて宇宙絶對者なんだって
こんな↑戰爭讃美の低価格な本だして帝國軍隊に配ってます。 これも復刻だけど總持寺独住九世が、いわく私根性わすれて宇宙絶對者に従って死んで屍になって感激せえ、つって愚癡の無邊ぶり發揮しとる。 かようなる迷妄病魔は彼らだけでなく軍人布規定を前出の永平六十四世と共に允可した總持寺独住三世等など枚挙に暇がナッシング。
かりに道元禪師が生きてらしたとしたなら、まとめて擯斥は必定もん、であります。

頭まるめて袈裟きて佛道やぶりな戰爭讃美してたのは、この人らだけではなかったです。
たとえば原田祖岳なども
 日本民族は世界の選民、反戰論は愚論、ファッショ政治を行え、育は浅薄な者を作る
と中央佛の昭和九年三月号にかいてるし澤木興道は
 正義の戰、不殺生誡は劔を揮い爆弾なげる (大法輪、昭和一七年一月号)
 陸軍も海軍も飛行機も世界一、戰に勝てば様と続きの自己 (同八月号)
なんつって外道迷信の頂点きわめてます。 この両者いまも名僧として宗門には知られてるんだけれども、いったいドコがドウ名僧なんだろうか。 迷走のマチガイなんじゃないの。

ついでにいえば原田祖岳の本みると分別きらうはずの禪へナニなに禪これコレ禪つって階梯もうけて分別もち込んでますが、こういう類を 機關禪 と申しまして道元禪師は
 なにかこれ初心、いづれか初心にあらざる、初心いづれのところにかおく (坐禪箴)
 無慾無禪両不眞、識取妄眞同二妄 (上堂)
と説いて却下してます。 また
 觀練薫修の階級におよばず十地等覺の見解におよばず (坐禪箴)
とあって道元禪師は十地等覺だの三賢十聖とか階梯をバカの比較に、よく用いる。 そして、
 直道本來無一物、誰知遍界不曾藏 (上堂)
とも説いてましてナニなに禪これコレ禪みたいな我を抱えて秘奥儀みたくするのも否定してる。
まー祖岳あたりはヒエラルキに展開する義を示しといて権威もち込めば便利だという考えかも。
根っからファッショか、やれやれ。 あまつさえ戰後の著書では己の所業そっちのけで↓
坐禅が大いに流行した時代がありました。 一部の誤った指導者がデッチあげた〇〇〇じみた大妄想にそそのかされて、国をあげて戦っていたあの戦争中、どこへいっても練成々々で、ミソギや坐禅が幅をきかし、いかがわしい指導者が坐禅の真似ごとを教えていたようでした。 ために、戦後の今日、坐禅は戦争をあふる反動思想のごとくに誤解している人さえあるとのこと、実に遺憾千万だと思う。 佛祖正伝の坐禅は断じてそのようなものではありません。 もちろん、反動的なものでもなく、練成の具に使われたような、度胸をつけたり、腹を練ったりといった風な、低調な、そして幅の狭いものでもありません。
(昭和二八年の著書より 文中〇〇〇は差別用語)
なんつって↑いかがわしい指導者、遺憾千万で低調な幅の狭い戦争をあふる反動思想、ていうのは、ぜんぶが自分自身のことじゃん、だいじょうぶかコノ人。 心臓に毛が生えてる、あるいは強度の記憶障害か。

ちなみ澤木興道は戰に勝てば様と続きの自己つってるように戰後も、ぶっつづきの自己ジコじこ、いってます。 いったいに彼の門流は私も參禪したことあるけど諸法無我に反した唯識なんだな。 絶對の自己ってなによ。 道元禪師はというと變化する諸法をとらえて
 自己をはこびて萬法を修證するを迷とす、萬法すすみて自己を修證するはさとりなり (現成公按)
 佛道をならふといふは自己をならふ也、自己をならふといふは自己をわするるなり、自己をわする
 るといふは萬法に證せらるるなり、萬法に證せらるるといふは (現成公按)
 説心説性は佛祖の所不肯なり見心見性は外道の活計なり (山水經)
と説いてまして心が存在すべてではなく、むしろ心の外なるものを認識することによって逆に私らが存在することを示唆してる。 唯識には阿頼耶識なんてのが説明用に設定されてますが、これ却下を
 三界外に一衆生界藏を有せしむるは外道大有經なり七佛經にあらざるなり唯心は一二にあらず
 三界にあらず(三界唯心)
と、ちゃんとかいてある。 たぶんナンでも心のせいにしとけば外への思考停止、現状肯定に満足させて便利だという發想かな。 まー様とつづいてても世界とは通じてないな。 遍界不曾藏を世界あるがままと簡単に説くですが法位にない有為は法爾にあらず、なんでも世界あるがままなら差別も詐偽も戰爭もOKあるがまま、じゃん。 どんな佛道だよ、それ( ̄へ ̄)
 遍界不曾藏といふは、かならずしも滿界是有といふにあらざるなり、遍界我有は外道の邪見なり
 (佛性)
遍界不曾藏ていうのは佛のえが日常の中(驢腮馬觜)にあって秘密でも奥儀でもナンでもない、ていう意味。 けっして、ありのままあるがままなんて思考停止、現状肯定じゃないのだ。
唯識については既出ネタですが、こりゃたんなる説明のための説明佛法つまり經論師佛法ぞな。

いまの曹洞宗の宗門ちゃんとしてるかというと一説には 騒動宗 とか、よばれてますな。
以上きょうのエントリこんなとこ。 じーほーさんしー。
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後半の アレです、タノQさんいうところの
低価格な僧侶さんたちにくらくら…
愚童和尚の(活字だけど)生の言葉に
触れることができたよかったです。
ありがとうございます。
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佛祖列闢の中には、いや~なのが、けっこういます。それが名僧あつかい。
かつ手許にある 宗侶必携(現宗務庁刊) 記載の宗史には後ろめたい箇所ぬけてるし。
ひょっとして団には佛道がないのかと疑われます、やれやれ。
  • 2010-11-19 20:27
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これを書かれたタノQさんも、それを理解されたななこさんも、お二人とも凄すぎです。
お恥ずかしいですが、私は「頑張って読んだけど…」としか言えません。
ところで今日、北朝鮮と韓国との間で大変なことが起こりましたが、いったいこれからどうなるのでしょうか?
怖くて不安なんですが…
  • 2010-11-23 23:10
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[C2855] ( ̄ω ̄;

んー、そんな、むつかしいでしょうか。 けっこう長文には、なっちゃったけど。
北朝鮮と韓国 こんなときがくるのは、とうぜん充分に予測されてたはずなんですが。 なぜ回避できないのか、なにか手立てがなかったものか、こういうことが今もまかり通る世界を私らは、かんがえていなきゃならんと思うです。
ところでコメント通知くるのチョー遅いんですがfc2ほんと不具合おおいな( ̄▽ ̄;
  • 2010-11-24 23:19
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    まあ…あれですな
    皮膚呼吸って奴?
    ハハハ( ̄▽ ̄)v

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