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お前はもう坐っている.2

きのうから成道会までの一週間は 臘八攝心 でしてウチにいる時間帯は、できる限り坐ることにしてます。 おかげで家事のスケジュールやりくり大変なのだ。 独り稽古もあるし、うひー( ̄ω ̄;
そういう次第なので臘八あけるまでブログ更新ろくに出来ないです、これ幸い。
…じゃなかった、残念無念な氣配です。 こほん。

以上きょうのエントリこんなとこ。
つって終了すると愛想ないから、道元禪師の 普勸坐禪儀 私訳↓を掲載しときます。

元を探り求めれば佛の道は本來が欠けることなく行き届いており、なにゆえ修行と證悟を要するのか、佛の教えは自在であり、なにゆえ功夫を費やさねばならないのか、そもそも大いに俗から外へあることはいうまでもなく、誰が拭い払う手段に頼るものだろうか、この場に一通りあるものへ修行の術を用いるものだろうか。
とはいえ少しでも誤りあれば天と地ほど懸隔ができ順序わずかでも違えば混乱して肝腎の要を失う。
たとえ理解を誇り悟りに豊かでいて智識と道理の一部を獲得し肝腎要を明らかにして天を衝く志氣を擧げ入門初心の端の程度ぶらぶらするとしても解放して活きる路には幾らか欠けている。
あの祗園精舎の生まれつき智者である人が端坐した六年の足跡を見るべきであり嵩山少林禪寺の印可を傳えた人が面壁した九年の名聲いまも評判である事は、いうまでもない。
いにしえの聖者が既にこの通りであり今日の人が何をいうことあろうか、だから當然いちいち議論して探究することは止めるべきであり當然一歩ふり返って省み學ぶべきである。
肉體と精神の束縛から開放され自由自在で無条件の境地を手にするだろう。 以上の事を会得したいなら急いで次の事に務めなさい。
禪を學ぶとき静かな室内がよく飲食は節度もって諸々の関りを思い切りよく投げうち、すべて休んで善と惡の別を考えず是か非かを限ろうとしてはならない。 心の動きを停めて集中したり思い浮かべたり見極めようと詳しく測り求めることを止め、わざわざ作為して悟りを思惑で都合してはならない。 常識に拘ることがあるだろうか。
(意外と、ながいな↓つづき)
(つづき)
ふつう坐處には厚く坐物を敷き上に蒲團を用いて結跏趺坐か半跏趺坐つまり結跏趺坐は先ず右の足を左の腿の上に安め左の足を右の腿の上に安め、半跏趺坐はただ左の足を右の腿に載せる。 ゆるやかに衣装を着て身綺麗に整えること。 次に右の手を左の足の上へ安め左の掌を右の掌の上へ安め兩側の大拇指は互いに支え合う。 そして姿勢を正して坐って左に偏り右に傾き前に躬まり後に仰ぐことをしないこと。 耳と肩を、鼻と臍を、對に並ばせることが要る。 舌は上の腭に据えて唇も齒も互いに着け眼は當然いつも開くこと。 鼻から息は微かに通じ姿勢を調えたら深く息を一度吸って吐き左右に搖すり振って動かぬよう坐を定め、ひとつ一つ思量しない奥を思量しなさい。 思量しない奥をどうやって思量するのか。 思量ではない。 これつまり坐禪の大切な方法である。
いうところの坐禪とは瞑想集中する修行ではなく安樂の教えというだけであり、煩惱を放れた無上の境地を究め盡くす實践であり體験である。 いま真理が解けて分別に達していない、もしこの意味をわかったなら龍が水を得るような虎が山に凭れるような境地である。 佛の教えが自然に目の前へ現れ、沈んだり散ったりする心の動きがとにかく消え去ることを當然知るべきなのだ。
坐から起つときは徐々に身を動かし慎重に起つこと。 いきなり急ではならない。 俗を超え聖も越えること、坐ったまま解放され立ったまま亡くなることも、ひとえに坐禪に懸ることを観てきた。 羅漢が竿を指し針を見せて鎚を捻った轉機や、諸祖が拂子、拳、棒、喝を用いた導きもまた、まだ思量分別で巧く理解できるものでないことはいうまでもない、どうして小乘の行や悟で理解できるものだろうか。 もちろん感覚の外の方式であって何ゆえ知識以前の法則でないものだろうか。
だからつまり上智であるとか下愚であるとか論じない。 利人だとか鈍者だとか選んではならない。 坐禪にだけ打ち込めばこそ心得の道である。 坐禪は無条件であり功夫した結果は更に普遍であるものだ。 そうしてすべて現世も他世も西の空から東の土地まで、そろって誓願を護り教えだけを遍く施し、ただ然り氣なく坐ることに努力して動かず邪魔されない。 千差萬別というものであっても、ひたすら禪を學んで道を心得ること。 なにゆえ自身の坐床を放棄して、いい加減に理由も考えもなく他國を無数に行ったり来たりするのだろう、もし一歩を過ればそこでつまづく。
もはや人として生をうける大切な時を得たのだ、無駄に月日を過すことがないように。 教えの時の大切さを支え担っていて誰が虚しく瞬間を樂しむだろうか。 それだけではなくて、ものの形と質は草露のようであり巡り合せは電光に似ており、すぐさま忽然と實體がなくなって時を置かず即座に消えうせる。 どうか何卒、教えを學ぶ立派な人が造りものの像から長く學んで本ものの龍を疑うことないように。 すぐ指で指し示せる明解な真理へ打ち込んで努力を惜しまないように。 學が極まって作為ない絶對自然の人を尊び大切にするように願う。 諸佛が煩惱を放れた無上の境地へ合致して諸祖が雑念を捨てさり自在に安定した境地を受け嗣ぎなさい。 以上のことを長らく行えば次の通りになること必然である。
寶の藏が自然に開いて我物のように使うこと思うが ままとなるだろう。
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    まあ…あれですな
    皮膚呼吸って奴?
    ハハハ( ̄▽ ̄)v

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