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[C2374]

ご紹介ありがとうございます。
来月から販路拡大につき一部のコンビニでも売られるらしいです。
  • 2009-05-28 16:19
  • 本城
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[C2375] 祝コンビニ

もっと肝腎の本を紹介する部分ながく書きたかったけど余談おおくて、すいません。
その余談…一毛が全宇宙とか芥実が世界だの、ちょっとややこしいですが道元禪師はデモクリトスの學説や素粒子を知ってたはずもないのに、この思索すごいと思います。 また他の著(無常説法)などではミドリムシや原生生物とかウイルスの存在も知ってるわけないのに大変な思索をみせてます。 いぜんメッセでご紹介した現成公案では地球が球体であるのを知ってるかのような記述だし。
人間オーパーツみたいな人でしょ。
  • 2009-05-28 18:55
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お前はもう超常ハンター

ゆうべのこと。 ほうじ茶いれてるとき大量の熱湯あつかってたら足へこぼれてヤケドしたです。
もー熱いのアツくないのって、つまり熱かった。 ピン☆ピン★きちゃったぜ。
おもわず ハーッ つってアキコ和田みたいな聲でた。 しかもステップふんで踊ってた私。
そのあと入浴して風呂あがりに顔へステロイドぬってると(顔ぬっちゃダメだよ)大事にしてる鏡に手があたって床へ墜落しました。 びっくりしてドキドキつかまつったし鏡の可動部分が傷んでた。
それからオヤツ在庫きらしてることに氣づきコンビニへ外出して、いつもの通りオヤツ以外のもんまで買って帰宅したら、こんどはレシートがない。 かならず家計簿つけてる、ってのに店員のヤツ…。
なんでこんな、つづけざまの数々、いい加減にしろッ なのだ。

ま、足は冷蔵庫にいれてたサロンパス貼ると腫れが退いたし私もともと痛覚にぶいし。
鏡も大したことなくて使えるし家計簿は以前の購入データひろい出したら商品金額わかるし。
なので何ら支障ナッシングといえばナッシング系だけど、こうも立てつづけ連撃モードだと業腹でして不快至極なり。 じつに感じわるくて氣分よくない日でした。 夜中へんな夢までみたぞ。

世間では、こういうのを 厄日 とか、いうんでしょか。 くわばら食わ腹~なんつって。
そんな迷信トークは置いといて。
迷信ていえば世の中には、いろいろ不可思議なことがあります。 不可思議っていうのは情識(思量分別判斷)を超えた無分別(まよいない境涯)のことをいうんだけど、ここでは逆に迷いまくって無明な場合の話し。 つまり自分の理解を超えてる對境へ何かしら説明つけて勝手に分別する人らです。
いわく霊障だの透視だの予知やオーラやら、そういう奇跡や神秘系ばかりでしか納得しないでいる。
もともと、ものごとを人間の感覚器官は自動的に分別するよう出来てますが、ありのままとは違うようにも分別をいたしまして、けっか錯覚をうむときが、ある。 積極的に(作為的に)分別をこころみれば、さらに錯誤します。 やれ霊とか超常とか申すのは、この類。
ようするに超自然ていうより、むしろ不自然な自分ごのみの理屈を用意して事象を迎えてるわけ。

そうした事例をいくつか平易に紹介してる本が今月めでたく発刊されたです。
タイトルは 謎解き 超常現象 やすい、おもろい、わかりやすい、と3拍子そろっちまった良刊もん。
いま売れにうれて増刊つづき、だそうです。 超常ジャンルの番組や出版物の内容が具体的に示されててグッド窮まりございません、と来た。 オカルト好きの人も、そうでない人もイチ読の価値あり。
さてさて佛道では超常神秘についてどんな見解してるかといいますと
(いいますと↓つづき)
(つづき)
たとえば道元禪師は一笑モードに付してるんだな、これが。 正法眼藏では 現成公案 の巻などで人の認識がいかにテキトーなものか説かれてあるんだけど、とくに 神通 においてはオカルト否定が明確なんです。 ほかにも即心是佛の巻などなど枚挙に暇乞いするくらい。 いとま乞いをしてたらエントリ記事にならんので、こんかいは神通の巻だけ私訳を掲載いたします。

 諸佛の神通
以下のような神通は佛を奉じる者にとって日常であり今も諸佛は怠りないのである。 これに六神通あるとも一とも無とも最上神通あるともいえる。 朝から暮まで無数に行うを姿としている。 佛とともに生れても佛に知られず佛とともに滅しても佛を破らない。 佛の上天にも下天にも同じことであり実践と体験みな同じこと。 雪山と同じく、木石のようである。
諸佛は時間を超えて釋迦牟尼佛の弟子であり袈裟を受け嗣ぎ塔を受け嗣いできた。 このとき釋迦牟尼佛は諸佛の神通は思量分別を超えているといった。 だから現在未來もまたこの通りと知る。
(註)
諸佛神通不可思議…法華經如來神力品より抄出

 不同小々の神通
百丈懐海の法嗣である大潙禪師は釋迦如來から直系三七代の祖師であり多く方々に表れた現在の佛祖は大潙の遠い弟子でなくてもその法系である。 大潙が臥していたとき仰山が來参した。 そこで大潙は寝返りし壁を向いた。 仰山が
この慧寂は和尚の弟子である、気遣い無用
というと大潙は起きる様子をなし、すぐに仰山が出ると大潙は、寂くん、と呼び戻し彼が戻ると大潙は
老僧が夢を説こう、聞きなさい
といった。 仰山が頭をたれて聴くと大潙はいった。
私のために夢判斷しなさい
仰山が盆の水と手拭を一つずつ持ってきて大潙が洗面しおわり少し坐したところ香厳がきた。 大潙は
私は丁度よくきた寂くんと一つ神通をした、小さな事々と同じではない
といった。 香厳が、私は次の間にいてよくよく解った
というと大潙はいった、きみ試みにいってみなさい。
そこで香厳は一椀の茶を点ててきた。 大潙ほめて
両君の神通智慧は舎利や目連より遥かに勝れている
といった。
景徳傳燈録 巻九より
大潙…潙山霊祐大圓 仰山と共に潙仰宗の祖
仰山…寂子は愛称 大潙の弟子である仰山慧寂
形迹…形跡つまり形式
原夢…夢を尋ねること
香厳…大潙の弟子である香厳智閑

 小々の神通
佛を奉じる者の神通を知ろうと思えば大潙の言葉を参學することが佛學の名に値する。 小さな事々と同じではなく代々傳承した神通智慧であり、印度の異教や小乘の神通および論師の學問を學ぶ必然はない。
大潙の示す神通は説夢洗面だけでない一つの神通だと決め定めることが佛祖の正傳であり小乘、少量、小見や十の聖や三の賢など小さな事々で彼ら皆が小神通を習い小身量だけを得たのであって佛祖の大神通に届かない。 不同小々の神通は佛の神通であり佛に向い上る神通であり習おうとする人は邪道異教に動かされないものである。 經師、論師は聞いたことがなく聞いても信じ受け容れにくい。 小乘、異教、經師、論師などは小神通を習い大神通を習わない。 諸佛は大神通を安定して護り継承し、これが佛の神通である。 佛の神通でなければ大潙と仰山の行動はない。 この大神通の力に包まれ小神通などもあり大神通は小神通を収めて小神通は大神通を知らない。 いわゆる毛が巨海を呑む、芥実が世界を納める、また頭上から水を出す、足許から火が出る、等ほか五通とか六通みな小神通であり、これらの輩は佛の神通を夢にも見聞きしない。 五通とか六通の小神通は生前にあって死後になく自身にあって他者になく現世にあって來世になく非日常にあっても日常にあり得ず修證に依り時処に制限される。 諸佛の教えと実践と体験は大神通によって思量分別や作為を超え明確に存在し、ただ諸佛の辺りに存在するだけでなく佛に向い上る境地にも存在する。 神通する佛の影響力はまったく思量分別を超え生まれる前から顕れて過去現在未來に関らず佛の神通がなければ諸佛の發菩提心、実践、無上の境地、到達の境地もあり得ない。 いま全宇宙世の常不変であるのは全てこれ佛の神通である。 毛が巨海を呑むだけでなく護り務め存在せしめ吐いて遣わしめるのである。 一毛が全宇宙を呑み込み吐き出すとき一つの全宇宙がこうなっても全宇宙なくなると學んではならない。 芥実が世界を納める等もまたこの通り。 芥実が世界を吐いて宇宙を存在せしめ限り無く藏す全世界でもある。 毛が巨海を吐き芥実が世界を吐くに一念で吐いて萬劫に吐く。 なぜなら萬劫一念ともに毛芥から吐かれる。 そして毛芥は神通から得るのであり得は神通であるから正しく単に神通が神通を生むだけである。 神通が過去現在未來に在る没いの別ないと學ぶこと。 諸佛はこの神通だけに携わる。

 運水と搬柴
禪門の偉人であり馬祖、石頭の両門に参學しただけでなく有道の宗師と多く会見交流していた龐蘊居士は、いった。 神通の巧緻な働きは運水と搬柴だ。
いう運水とは水を運んでいることであり自身ですることあり他者にさせることあって水を運び、これつまり神通する佛である。 知ることは時によりけりといっても神通は神通であり人が知らないならその事象が止んだのではなく消えたのではなく人が知らなくても事象その通りである。 運水が神通であると知らなくても神通が運水であることは変りない。
搬柴とは焚木を運ぶことである。 たとえば慧能の故事の通り朝に無数に行なって神通と知らず暮に無数に行なって神通と解らなくても神通の顕れである。
じっさい諸佛如來の神通の巧緻な働きを見聞すれば必ず教えを得るもので全諸佛が教えを得ることは必ずこの神通力で達成するから小乘の出水の類を小神通であるとして運水が大神通であることを學ぶこと。
運水と搬柴は今もおろそかにならず人は軽視しないので昔から今に及び人から人に傳わっている。 少しも後退しないのは神通の巧緻な働きであり大神通である。
(註)
龐居士蘊公…龐蘊道玄 維摩と同じく在家の佛祖
神通并妙用、運水及搬柴…景徳傳燈録 巻八
六祖の昔…貧しく生活していた六祖曹谿山慧能は柴を売っているとき五祖弘忍に出会った 法寶檀經

 身上身下身中の神変神通
洞山和尚は師の雲厳に神通妙用とは如何なるか問われ叉手して近く前に立ち再び師が問うと禮拝して出た。 この因縁に言を承け意を得る神通があり神通の事実に凾と蓋との一致がある。 神通の巧緻な働きには弟子があって後退せず高祖があって至上であり異教小乘と同じではない。
佛道に頭上や足許から顕れる神通不思議がある。 この全世界は佛弟子一人の真実體である。 世界山海、内的宇宙が存在しながら頭上、足許、體内から顕れ非身體から顕れる奇跡である。 頭上から足許から佛が祖師が無限の時間が顕れる。 頭上から全宇宙が顕れるし頭上に全宇宙を収めるだけでなく世界国土を幾つも吐いて出し呑み込むこともこの通りである。 地水火風空識に諸々無限の構成要素は同じく顕れたり消える神通であり呑んで吐く神通である。 この大地虚空の一面一面は呑み込みであり吐き出しである。
芥実に移り変わられ一毛に支えられるのを本領とし意識の知が届かない處で生まれ住持し歸結する。 じつに寸法に関らない佛の神通の変化は、ひたすら詳しく測り求めて準じるだけだろう。
(註)
价子神通妙用…筠州洞山悟本禪師語録

 佛の神通と余者の神通
むかし佛に仕えていた五通仙人が佛に六通あり私に五通ありこの一通は何なのかと疑っていたとき佛は五通仙人を呼んでいった、その一通を私に問いなさい。
佛には六通だけでなく量り知れない神通智慧があり仙人は佛に六通あると知り得ず六通だけ見ても究めるものでなく、その他の神通において夢にも見ない。
たとえ仙人が釋迦和尚を見てもまだ佛を見たかどうか佛を見てもまだ釋迦和尚を見たかどうか釋迦和尚を見ることができて佛が見えてもまだ自身を見えるかどうか、問うこと。 この問で理論の用法を學んで理論の超越を學ぶこと。 ましてや佛に六通あるとか他者の寶を数えるまでもない。 佛は仙人にその一通あるとも無しともいわない。 その一通に通じる通じないを説いても仙人はその一通に通じ得ない。 つまり仙人の五通は佛にある六通の中の五つではない。
佛の通で仙人の通は通じ抜けても仙人の通で佛の通に通じ得ず、もし仙人が佛の一通でも通じればそこから佛に通じるものである。 仙人を見れば佛の通に相似する處あり佛の営みを見れば仙人の通に相似することあるのは佛の営みであっても佛の神通ではない。
通じてなかったなら五通すべて佛と異なり、すぐその一通を問うことに何の用もない。 釋迦和尚の真意は、どの一通でも問い求めなさい、一通も仙人は届いていないということであるから佛の神通と余人の通とは神通の名称文字が同じといっても遥かに別格違いである。
(註)
佛有六通、我有五通、如何是那一通…禪林類聚 巻一二

 地行の神通
これを以って臨済義玄和尚はいった、
古人いわく如來が顕れる姿は世間の情に沿うためであり人に虚無観が生まれることを心配し少し借の名を立て仮に三十二相といって八十相というのも仮に呼び身を持つは悟った肉體でなく姿無きが真の形である。 佛に六通あるのは思量分別を超えているというべきだ。 すべての神々、仙人、惡魔、妖怪にも神通があり佛であるかどうか佛道の流れを汲むことに誤ちがあってはならず天帝と惡魔が闘うようなもので戦に敗れ多数の眷属をまとめ蓮孔の中に隠れることが聖なのかどうか。 これらすべて宿業の通であり術の通であり佛の六通は違い全宇宙において感覚の対象に存在に惑わされないので六種の感覚の対象に通じすべて変化する姿であり束縛に値せず、これを執著ない自由自在の覚人であるが人の構成要素を持っていても地に足のついた神通である。 佛流の人よ真の佛は形が無く真の存在は姿が無く術の影響で姿形を作るだけであり求め得ても妖怪の幻であって真の佛ではなく異教の思想である、と。
したがって諸佛の六神通は神々鬼神すべてや小乘などの届くものでなく推して知るところではない。
佛道の六通は佛道の佛弟子だけ傳承し余人の継承しないものである。 佛の六通は佛道に傳承し傳承していなければ佛の六通を知るはずない。 佛の六通を傳承しないのは佛道の人ではないものと参學すること。
臨済録より引用

 無神通菩薩
百丈懐海和尚がいった、
眼耳鼻舌、各々が有形無形の諸存在すべてに執著しないのを四句の偈の継承といい四つの賜物という。 感覚の対象と器官との関渉に跡ないのを六神通といい、有形無形の諸存在すべてに障げられないのを知の解に依存しているのは神通という。 神通に囚われていないのを無神通といい無神通の菩薩は跡がみつからない。 これが佛に向い上る人であり最も思量分別を超えた人であり最高の境地である、と。
いま諸佛諸祖が継承している神通この通り。 諸佛の神通は佛に向い上る人であり最も思慮分別を超えた人であり最高の境地であり無神通の菩薩である。 知の解に依存せず神通に囚われず諸々の存在すべてに障げられない。
いま佛道に六神通あって諸佛が傳え護ってきて長い。
傳え護らない佛は一人もなく傳え護らなければ諸佛ではない。 その六神通は感覚の対象と器官との関渉を跡ないものと明らかにする。 跡ないというのは古人によると六神通は空であり空でなく一粒の圓光は内外ではない。 内外ではないとは跡ないものである。 跡なく実践し参禪學道し体験すると感覚の対象と器官との関渉に動揺しない。 動揺しなくなるには動揺して幾度も戒められることである。
したがってつまり六神通この通り参究すること。 佛道の継承者でなければ誰もこの道理あるはずと聞かず無駄に外へ走って家に帰っていると誤まるだけである。 また四つの賜物とは佛道に備わる必須といっても正しく傳える學人はない。 砂を数える輩や流浪の類がこの賜物を得ることはない。 小を得て足りる類は究め到らない。 単に佛と佛とが傳授するだけである。 いわゆる四つの賜物とは四句の偈の継承である。 四句の偈の継承とは有形無形の諸存在すべてにおいて眼耳鼻舌、各々が執著しないのである。 執著しないとは影響されないことである。 影響されないとは平常の心であって生きる上で常を要とする。
以上の通り六神通と四つの賜物は佛道に正しく傳わっている。 これと相違あれば佛の教えではないと知ることである。 したがって佛道は必ず神通から達する。 達すると一滴で巨海を呑み吐き塵粒が高山を捉え放って誰も疑いを著け得ない。 これがつまり神通というだけである。
(註)
眼耳鼻舌各々(中略)自己天…古尊宿語録、巻二
自己天…自己の完成、最高の境地

…以上、私訳から神通全文の引用おわり。
かなり長文でしたが道元禪師が明らかにしてる神通、ちっぽけなものは別として大いなる神通とは何かといえば盡十方法界(この宇宙ありのまま)であり彼我の二見を超えた臨機應変の自由自在、何ものにも執著せず影響もされない働き、これを指してます。
むりやり不自然なことをやって、それを神通だというのは 小々 なんですって。
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    まあ…あれですな
    皮膚呼吸って奴?
    ハハハ( ̄▽ ̄)v

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